あなた自身の中にもきっといる、こんな(良くも悪くも)素直な子どもたち。

ママミルクは、個性溢れる子どもたちが自由に生活する小さな社会を描いた4コマ漫画です。(たまに2・3コマにもなります)

皮肉と風刺の隠し味が、後からじわりじわりと効いてくる・・かも?

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後付け

【035】マイルール

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長女テレサのお話。


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【解説】

何か行動を起こす動機なんて、
原始的な欲求が先にあって、
もっともらしい理由は
ほとんど後付けだと思う。


自分の欲求を、自分の中でどう解釈すればいいか、
フレーミング次第だ。


そして人間は、もっともらしくするのが大好きなのだ。
人間から大義名分を根こそぎ絶ったらどうなるか。


「かねがほしいから、うったえた」

「はじをかかせたいから、ひとまえでしかった」

「きにいられたいから、おごった」


まるで、小学生の作文だ。
これがまかり通れば、世界は『北斗のケン』の舞台みたいになってしまう。


人は誰でも自分の欲求を、どれだけでも正当化できる高い能力を持っている。



「私は、常日ごろから、格差社会に不満を覚えていました。


私が求めているのは、偏りのない、平等な社会です。


なぜ、富と物資はあるところには有り余っているのに、


無いところには、必要最低限なものさえ届かないのでしょう。


私は、そんな現状に憤りを感じています。


私は、本当に必要とする人のもとに、必要な物資を届けたい。


だから…、


だから私は…、


マスクを高額で転売しました。」




爆。




会社で予算を通すときに、経理を納得させるために、
(やった経験ないからよくわからんが)

たとえば、XXXを購入したいが、○○費としては高すぎるので予算が通らない、
だけど名目を変えて△△△費用としてなら安いのでそちらで落とす、みたいなことをやっていたりする。


そう考えると、自分の中にいる『経理』を納得させるための戦術なわけだ。

こういうしたたかなことを、脳みそは一瞬でやってのけるからすごい。

しかも無意識のうちに。



035_おまけ


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【005】うらない

005_占い_web


結果が気になるヘルムくんと、悪魔のマーロンのお話。



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【解説】

10代のころ、占い師に手相を見てもらった過去とがある。

「大器晩成のタイプだね」と言われた。


10代で、大器晩成とか…、え?

まじで放り出されたような気持になった。

その結果が合ってるかどうかを確認するのに30年はかかる、

30年後に、「大器晩成出来なかったじゃねーか!金返せ!」とか言いたくても、

もうその占い師に会うことはかなわない。言ったもん勝ちだ。

『せこい』

その三文字が頭に浮かんだ。


先に断っておくが、私は神を信じる信仰は持って以来、
占いの類はいっさい信じなくなった。


『占い』というと、ざっくりしているが、
客観的に見て合理性のない手法を用いて、(カード、手相、星座)
また、事実確認の取れない主観的な存在に伺い立てることによって、(チャネリング、守護霊、先祖)
未来を知ろうというタイプの行為をここでは上げておきたい。


占いが『あたってしまうように感じる』メカニズムについては、
バーナム効果と確証バイアス、後付けなどの
心理学で説明できるので、それをググってもらえばいい。

人の記憶の書き換えられやすさについては、
『記憶はウソをつく 』(祥伝社新書 177) 榎本 博明  (著)
などを参照いただきたい。
占い師が(本人は信じてやっておられる場合があるので)
全員がうそつきだとは思わないが、
人の未来について、主観で好きなことを言っておいて、
結果責任をとらなくていいのはアンフェアだと感じる。


未来など、人間に予知できるわけがない。
当たったことがあるとしても、
それを再現性が認められる科学的事実と認めるのサンプル数があまりに乏しい。


だから、占いなんて、時間とお金の無駄だし、
理性的判断をしない温床になるので極めて有害だ。

でも、占いをしたい人の気持ちはわかる。

先行きの見えない状況で、未来を知りたい、何かにすがりたい、と考える気持ちもわかる。

「先のことがわかればいいなぁ」

と思ったりもする。

でも、その先って、いつまでのことなんだろう。


大人になったら?


死ぬ瞬間?


それとも、死んだあと?


部分的に良くても、結末がダメだったら、全部だめじゃない?



人は未来を部分的にしれたら、不安は解決されると考える。

でも、そこを乗り切っても、また不安要素はわいてくる。

結局、未来の一部分を教えてもらっても、

幸せにはなれない、平安は訪れ無いんだろうって思うわけさ。



記憶はウソをつく (祥伝社新書 177)
榎本 博明
祥伝社
2009-09-29



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