ロボを作ったハカセのジャックと、ハカセに作られたロボのお話。
【解説】
自分に残された命(バッテリー)を、だれのために使うか。
というより、
どの目的のために使うか、
その議題を緊急でも重要でもないタスクとして先送りにしてきた人は、
今、
今、
今、
考える時間をもって欲しい。
別に企業や転職を勧めるわけではない。
他人のためにと、時間を使うことを軽んじているわけではない。
ただ、あなたの時間の使いかたが、
人に向けられたものであれ、自分に向けられたものであれ、
(あるいは、神に向けられたものであれ)
『自発的であるか』を考えて欲しいということだ。
あなたは、自分の時間の使い方に納得しているか?
「働かされている」「しなくてはならない」「仕方なくしている」
という不本意な時間の使い方をしているのであれば、
それをやめるか、認識(見え方、切り口)を変えるかのどちらかの処方を選ばなければ、
不本意な人生のまま、生涯を閉じてしまうことになる。
命はバッテリーの駆動時間だ。
死の床で「ああ、俺の人生なんだったのか」と
不本意な思い出満たされるような終わりかたでよいのだろうか。
私は物腰柔らかで、愛想もいい方だ。
だから、人に何かを頼まれることが多かった。
ところが未だかつて、私のもとにお金を借りにきた人はいない。
まぁ、見るからにお金はなさそうだからと思うが、
実際にお金を借りにきたところで、
本当にないのだから、貸すことはできない。
預金残高を見ればないことは明らかだから。
でも、なぜか時間は平気で貸してしまう。
「いいよ」「やっといてあげるよ」
時間は預金残高のように残高がわからない。
いくらでも貸せそうな気がする。
いくらでも貸せるのに、
それを人に貸さないのは
ケチだと思われるような気がする。
だから、断りきれずについ引き受けてしまう。
でも、どうか。
本当に、時間はいくらでも貸せるのか?
借りに来るたびに、無造作に、オートメーションに、貸してしまってもいいものか。
そういうことを、ロボくんは考えたんじゃないかな。
やり残していることがある。
後悔のない人生を歩みたい。
人の言いなりになって、自分の人生を棒に降りたくはない。
ロボでさえ。