ヘルムくんと、悪魔のマーロンのお話。
【解説】
ドラゴン桜という漫画で、主人公の講師 桜木は
体育館に集まったヤンキー学生たちに次のように述べた。
“社会のルールってやつはすべて頭のいいやつが作っている
それはつまりどういうことか…
そのルールは頭のいいやつに都合のいいように作られてるんだ
逆に 都合の悪いところはわからないように隠してある
それでも頭を働かせるやつはそこを見抜いてルールを上手に利用する”
(引用:ドラゴン桜 一巻 第4限目 三田紀房)
うわぁ、言ってくれるぜ!桜木先生!と思った。
そうなんだよ、そう。それがこの社会に出来上がっている構造なんだ。
私はかつて、頭のわるいやつらの一員であった。
つまり、世の中は、権力者の都合で作られており、
与えられた情報は、権力者によってピンハネされた、
五番煎じくらいの情報であるという自覚がなかった。
教科書や道徳教本は、私たちの幸せを願う国の偉い人たちが、
豊かな教養と自立できる精神をもつことが作ってくれたと盲信していた。
世界は、私たちにこの上なく親切な存在であると疑わなかった。
陰謀論はきらいだが、少し想像力を働かせればそれが幻想であることがわかるはずだ。
人の上に立つ人も、飯食って、排便して、二度寝して、後悔して
しくじっても「ごめんなさい」と謝れない私たちと同じ人間だ。
スキャンダラスで失言まみれでわいろもらったり、エッチなことしてすぐ更迭される国のお偉い方々が
ビューティフルスピリッツに基づいて国のために働いていると思えるほうがおかしい。
(私だって、同じ権力が与えられたら誘惑に勝てる自信はない)
実際におかみの方々の中には、正義の精神でやってる立派な方々も(少数ながら)おられるだろうから、私利私欲と利他主義とのせめぎ合いの末に、
『限りなく私利私欲よりの折衷案』がふもとに降りてくると考えるのが
妥当だろうというのが私の意見。
どうのこうの喚いたって仕方ない。
人類はだらしがない。
その本質は、自己中心の塊だ。
そんな人間が作り出す社会が不公平なのは当たり前なのだ。
それを踏まえたうえで、人や境遇を憎むのではなく
それを賢く利用するかを考えるんだ。
文脈から悟れ、ことばの裏を読め、意図を探れ。
『与えられた情報を鵜呑みにしない』
『なぜかと問いかける、自分の頭で考える』というクセをつけないと
搾取されることにも気づかず搾取され、
利用されていることも気づかずに利用され続けることになるであろう。