テレサ・リサ・ミミの3姉妹のお話。
【解説】
私も気に食わないことがあったとき、よくいじけるし、ふてくされる。
おっさんになっても、いじけるのだ。
子供のようだと思われるかもしれないが、
これでも私はずいぶん成長したものだ。
大きな変化は、『ただ、いじける』だけではなく、
『いじけている自分』を多少なりと客観的に見ることができるようになった。
「ああ、俺いじけてんな」「時間を浪費して、置物化してんな」と
メタ認知、客観的な視点をもつことができるのだ。
そればかりか、『些細なことでいじけて、そこから立ち直れないでいる自分』を眺め
いじらしく、愛おしくさえなってくる。
もはや悟りの領域に達したといっても過言ではない。
ただ状況としては『早く俺を慰めにきやがれ誰か』と言わんばかりに押し黙りの膠着状態で、
それはまるで漂着した無人島で、食料も探さずただ大声を張り上げて助けをもとめているようなもの。
布団にごろりと寝転んで、スマホをいじりながら悶々と過ごす私を
いっそ狸の置物と入れ替えてしまおうかとさえ思うほどに、非生産的な時間の過ごし方。
いじけている私にだって「このままじゃまずい」と思う理性の欠片くらい残っている。
5分10分と続くと流石に耐えられなくなってくる。
すこしはこのいじけている時間を有効活用できないか、と考えるようになってくる。
この話では、テレサがリサを押し花の重石として活用してくれたが、
実際には、テレサのように自分を持ち運んでくれるようなエンジェルはいない。
自分で自分を“有効活用”しなくちゃいけない、セルフサービスだ。
つまり、なんとかして、この狸に仕事をさせなきゃいけない。
いじけて狸の置物化した自分に多くを求めるつもりはない。
このモチベーションが下がりきってる状態の自分を
バリバリ働かせるのは無理だ。
だが、寝転ばせておく場所を少しずらすだけで、文鎮の役目くらいは果たせる。
そんな感じで、私はだんだん活動的になり、いじけ状態から回復する。
いじけて狸の置物化した自分に多くを求めるつもりはない。
このモチベーションが下がりきってる状態の自分を
バリバリ働かせるのは無理だ。
だが、寝転ばせておく場所を少しずらすだけで、文鎮の役目くらいは果たせる。
だからTEDなどの勉強系動画をみせたり、読書をさせたりして、
この寝そべる狸をどうにか有効利用できる活路を見出そうとする。そんな感じで、私はだんだん活動的になり、いじけ状態から回復する。