037_命の有効利用_600

ヨブとマーロンのお話。



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【解説】(今回は『100日後に死ぬワニ』の感想です、書きたくなったので)


“おまえもしかしてまだ 自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?”

 

漫画『幽遊白書』の戸愚呂(兄)が玄海師範に放ったこのセリフが、
人間が「死」に対して抱いているバイアスをよく表現している。


『100日後に死ぬワニ』は
「自分はまだ死なない」と思っている全ての人に投じた、
痛くはないが、手のひらにいつまでも残っている鉛筆の芯みたいな漫画である。

 

(以下、ネタバレ含む)

 

『100日後に死ぬワニ』が最終回を迎えた。
第一回から1日も欠かすことなく立ち続けていた死亡フラグが、ついに回収された。


全部は読んでいないのに絶賛するのはあれだけど、
この漫画の凄さは序盤と最後の話を読めば十分、もうお腹いっぱいだ。
というか私も漫画を描いているので、才能にジェラってしまうので全部は読まない。
 

最終回のオチはすごく痛烈で、(3話のエピソードと関連して)
人が死ぬことに対しては、敏感に反応するのに
自分に訪れる『死』については、いかに無頓着であるかがわかる。

期待を遥かに超えたいいオチだった。


私たちはだれも「自分が死ぬ」という客観的事実は
どこか遠い世界の話で、「まだ、しばらくは死なない」と思っている。
 

しかし、死への向かうカウントダウンは、
100日前でなく、生まれた瞬間から始まっているのだ。

 
この漫画の面白さは、ドッキリ番組を観ているような感覚に似ている。
 

『もしも、あと100日でワニが死んだら』なんて
仕掛人になったような視点で読む。
 

あと100日で死ぬくせに、生きている前提で「予定」を入れたり、
だらだらと時間を過ごしたりして、
ワニの時間に神経を注がないワニが、ひどくコミカルにうつる。


そして、読者はほくそえみながら、
心で戸愚呂(兄)のようにツッコミを入れる。 
 

「おいおい、まだ死なない気でいるよ。かわいそうに…」
 

でも、そのツッコミが実は
 
“自分に向けれられている”

というクリティカルな視点をもてる人は少数だ。

 

でも、はっきり言っておきたいのは、
私たちはみな、誰でも、 

 
最悪、今日死ぬ。


そんなことを改めて指摘されて、嬉しいひとはまずいない。
たいていは嫌な気分になる。空気読めよ、てなる。
 

「まだ死なない」「まだ死なない」って


ラーメン屋の秘伝スープみたいに、
つぎたし、つぎたし、
ちゃんとその「死」を見据えることを、先送りしていく。


この漫画は、そういう私たちの死への認識に
どでかい一石を投じて
波紋を起こしたかったんじゃないかな。っ

 
ちょっと『死』を、じっくりみてみようよ。

ぽん、とまな板の上に置いて、観察してみようよ。


 だって、もし、『死』をじっくり見据えることができれば、
『生』を意識するようになる。
そうすれば、絶対に行動は変わってくるはず。

 
よく推理小説で、自殺に見せかけて殺害された現場に
そこにかけつけた探偵が、本人の鞄にある図書カードを取り出して
「はたして、自殺を考える人が図書館で本なんて借りるでしょうか?」
とか訝しむシーンがあるが、「ふむふむ、たしかにそうだ」と思う。 


死を見据えた人は、行動が変わる。


しかし、わたしはまだ死なないと思っている。
ワニの「あと99日」というあのカウントダウンが、
自分の人生というコマの枠外に記載されているということに気づかない。

だから、残り時間を惜しむような生き方はしない。
 

命は、自分に使うことができる“時間”だと、
医師の日野原重明は言った。


私自身、自分の時間の使い方について、見直すきっかけがあった。


1年ほど前、原因不明の微熱が続いた。
病院であらゆる検査をしたが、異常は見つからなかった。
そのことは『もっと重い病気ではないのか』という余計な不安を募らせた。
 
後から振り返ってみて、きっとストレス性のものだったのだろう(実は今も続いている)と察するが、
当時の自分は、大袈裟でなく「死ぬのではないか」と思ったくらいに深刻に悩んだ。
 
その時、私は考えた。

あと数ヶ月で死ぬとして、

『悔いのない命の使い方』をしていただろうか?


そして、思った。

まだやっていないことがある。
まだ死ねない。
今、死んだら、きっと後悔する。


それ以降、私の時間の使い方は変わった。

 私はことあるごとに、
 「あと数ヶ月しか生きられないとして、わたしはこれをやるだろうか?」
と自問するようになった。

 
それが物事を行うひとつの基準になり、
あとで「やらなければよかった」と後悔する時間の使い方はしないようになった。
 

自己憐憫に浸ったり(今回のmamamilkはそのことの自戒である)、
だらだらSNSやゲームをするような時間の使い方はやめた。
家族と話したり、読書をしたり、運動をして、1日を無駄にしないようになった。
漫画や創作活動をして、自分が与えられた使命を全うしたいと強く思うようになった。
(『100日後に死ぬワニ』を全部読む気がしないのも、後々出版される書籍を読んだ方が早いからだ)

 
だから今わたしは、100日後に死ぬとして、
過ごした1日1日を漫画を読むように振り返っても、
悔いのない生き方をしているという自負がある。

 『100日後に死ぬ〇〇〇』

この〇〇〇に自分の自分の名前を入れて、頭の中でイメージしてみよう。
あたりまえにしている動作ひとつひとつが意味深く思えてくる。
 

必ず訪れる「死」を怖がるのではなく、見据えて歩む。
そうすることで、『生』がより味わい深いものになってくる。
著者のきくちゆうきさんはそういうメッセージを込めて、
この漫画を書かれたのではないかと、勝手に想像するのだ。

 

「100%墜ちるとわかる飛行機にあえて乗る人はいないが、私たちはみなそれに乗ってる」昔読んだ本に描いてあったが、人は死を避けれないことを表した名言だと思う。





037_おまけ



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