芸術家・イサクのお話。
【解説】
金のない私にとってこれは自虐ネタだ。
持論だが、アートってのは、”自分自身に課してしまっている制約との闘い”だ。
『先入観』『批判』『思い込み』制約を取り払いながら、
世界に存在するあらゆるツールを使って目に見えない内なるものを表現していくのが、アートなんだ。
自分の内側にあるものを「表現したい」と思うとき、
そこには「だけど」という制約がかならず生まれる。
大人は特にそうだ。
「あの上等な絵の具を使えば、素晴らしい絵が描ける…『だけど』
、お金がかかるから安いやつで我慢だ」
「娘に絵の具なり油性マジックなり自由に使わせて好きな絵をかかせてやりたい…『だけど』、
服が汚れるとあとで面倒くさいから色鉛筆を使わせよう」
「ここに、アルミ缶をくっつけたら面白い作品になりそう…『だけど』、
先生は「そんなものを使う人はありませんよ」と言っているからやめとこう」
「『だけど』、人からの批判が怖い」
「『だけど』パトロンの意見も反映させないと食っていけない」
「『だけど』、絵の具がもったいない…」
「『だけど』、変人だと思われるかもしれない」
そうやって、私は私にに制約を課してゆく。
そうして、私が作りたいと願っていたものは、
どんどん小さく、どんどんつまらないものになっていく。
最近、娘と毎日絵の具で遊んでいる。
子どもは本当に素晴らしいアーティストだ。
制約を課すつまらない大人が邪魔をしない限りにおいては。
精一杯に好きな色を紙面に塗りたくる娘を見て、
「私はつまらない大人になってしまったな」と、そう思うのだ。