あなた自身の中にもきっといる、こんな(良くも悪くも)素直な子どもたち。

ママミルクは、個性溢れる子どもたちが自由に生活する小さな社会を描いた4コマ漫画です。(たまに2・3コマにもなります)

皮肉と風刺の隠し味が、後からじわりじわりと効いてくる・・かも?

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May 2020

【052】答え合わせ

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テレサちゃん、ジャック、オリバーのお話。



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【解説】

男脳と女脳の違い、っていうのか。男は解決、女は共感を求めるとかいうよね。
男女関係なしで、
『共感』を求めて相談に来た人に、客観的意見なんて提供しても不毛だよね。
胡瓜だけ買いに来た人に、洗面器売れないよね。

「ねぇ、私仕事やめようかどうか悩んでるんだけど…」

「思い切って、バッグ買っちゃおうかな〜」


迷ってるといいつつ、相談したいといいつつ、意見をもとめているかのようなふりして
本当は自分の中で答えがもう出てる。決心してきている。

だけど、『賛同』がほしい。必要なのは、客観的意見ではなく、許可と賛同。
敵軍の位置情報を正確に知るためのGPSではなく、むしろ援護射撃。


「司令官、どうか、発砲の許可を!!

敵かどうかはさて置き、

私はとにかくこの方角に打ちたいです!」

そんな剣幕で来られたさ、

そしたら、もう、司令官が言うことなんもないよね。

だって、もう“打つ”って決めてるんだもん。

いや、知らないよ、それが誤爆で、味方軍に甚大な被害を招くとしても。

だってさ、なす術なくない?

どうせ「ダメ」って言っても打つんでしょ?

そういう目してるもん。

なんだったら、止めようとする俺ごと撃ち貫きそうじゃん。


「いいよ、どうぞ、許可する。
ヴィトンのバッグだろうと、エルメスのポーチだろうと好きなものを買いなさい」



共感を求めに来た相談相手って、ある意味無敵だよね。
試合をする前から、勝利確定の完全試合。

そういう話。

052_おまけ

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【051】有効利用

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テレサ・リサ・ミミの3姉妹のお話。



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【解説】

私も気に食わないことがあったとき、よくいじけるし、ふてくされる。
おっさんになっても、いじけるのだ。

子供のようだと思われるかもしれないが、
これでも私はずいぶん成長したものだ。

大きな変化は、『ただ、いじける』だけではなく、
『いじけている自分』を多少なりと客観的に見ることができるようになった。

「ああ、俺いじけてんな」「時間を浪費して、置物化してんな」と
メタ認知、客観的な視点をもつことができるのだ。

そればかりか、『些細なことでいじけて、そこから立ち直れないでいる自分』を眺め
いじらしく、愛おしくさえなってくる。
もはや悟りの領域に達したといっても過言ではない。


ただ状況としては『早く俺を慰めにきやがれ誰か』と言わんばかりに押し黙りの膠着状態で、
それはまるで漂着した無人島で、食料も探さずただ大声を張り上げて助けをもとめているようなもの。
布団にごろりと寝転んで、スマホをいじりながら悶々と過ごす私を
いっそ狸の置物と入れ替えてしまおうかとさえ思うほどに、非生産的な時間の過ごし方。

いじけている私にだって「このままじゃまずい」と思う理性の欠片くらい残っている。
5分10分と続くと流石に耐えられなくなってくる。
すこしはこのいじけている時間を有効活用できないか、と考えるようになってくる。

この話では、テレサがリサを押し花の重石として活用してくれたが、
実際には、テレサのように自分を持ち運んでくれるようなエンジェルはいない。
自分で自分を“有効活用”しなくちゃいけない、セルフサービスだ。
つまり、なんとかして、この狸に仕事をさせなきゃいけない。

いじけて狸の置物化した自分に多くを求めるつもりはない。
このモチベーションが下がりきってる状態の自分を
バリバリ働かせるのは無理だ。

だが、寝転ばせておく場所を少しずらすだけで、文鎮の役目くらいは果たせる。

だからTEDなどの勉強系動画をみせたり、読書をさせたりして、
この寝そべる狸をどうにか有効利用できる活路を見出そうとする。

そんな感じで、私はだんだん活動的になり、いじけ状態から回復する。
いや、効率的かつ、生産的にいじけることができるといった方がいいかもしれない。

ぜひ、皆さんもいじけ、ふてくされた時は、
この話を思い出してほしい。

このように私はたまに役立つ記事を書くこともあるのだ


051_おまけ

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【050】全き遊び

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マチルダとミミちゃんのお話。



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【解説】

「それ、何の役に立つの?」

これが『上司が、就業中の部下に向けて投げかけた質問』であれば、それは的を得た質問だ。

んで、問われた部下が「え、役には立ちませんよ?ただの暇つぶしですから」
とか、平然と言ってのけたら、「こいつマジかッ」って思っちゃう。

「この、今日取引先に納品予定の製品、投げてみたらフリスピーみたいに飛ぶんですよ、…部長もやってみます?」

とか、胸弾ませてたら、「もう、どうしようか、いろいろ…」って思っちゃう。


でも、

「それ、何の役に立つの?」という質問が、

『大量のトミカを一直線に並べた横に寝そべって、
”連なったトミカの全長と自分の身長のどちらが長いか“を懸命に調べようとしている男児』に対して、
父親が向けた質問であるなら、それは質問する父親の方が馬鹿なのである。


遊びに、合理性や生産性、成果を求めるのは、ナンセンスだ。

遊びは、くその役にも立たなくていい。

遊びに、永続性や再現可能性を求めるのもナンセンスだ。

遊びは、その時一回限りの思いつきで、無計画に初め、記録や痕跡を起こさずに終わって良い。

遊びに、論理性や一貫性、共感性を求める奴は、人生損する。

遊びは、情緒が全て。「今わたしが楽しい」という主観が全て。


子供は、そのへんのことをよくわきまえている。
しかし、大人になると、それを忘れてしまう。

遊びが「何の役にも立たない」ということが、時間の無駄に思えて、内心許せなくなってくる。
「その時間があるなら勉強をすれば良いのに」と考える。

だから、ただ楽しいというだけで行っている“純粋な遊び” “全き遊び”を
『無駄なこと』と言って切り捨て、やめさせようとしたり、
『有用性』という混ぜ物をして、

「遊びながら英語単語を覚えよう」とか「遊び感覚で算数が身につく」
「ゲームをしているだけでピアノが上達する」というキラーワードに踊らされるままに
『遊びと仕事(勉強)のハーフ』を提供しようとする。

こういう、アウフヘーベン的思考は「まぁ、目玉焼きも作れるコーヒーメーカーなんて便利!」と買ってみたはいいものの、どちらも中途半端でありながら、どちらか片方を切り離して捨てることも出来ず、無用の長物化させてしまうようなケースに陥りがちだ。

遊びに有用性を求めることは愚かだと述べたが、
遊びに有用性がないということは決してない。

遊びは、無駄なようで、無駄ではない。
遊びは、役に立たないようで、実はすごく役に立っている。
それが目に見えてないので、「活用されている感」がないだけなのだ。

遊びに「有用性」「実用性」を求め、意味のない遊びを子供から取り上げるような人たちは、
時間活用信仰に陥り、ミヒャエル・エンデの『モモ』に登場する“灰色の男たち化”してしまう。

『賢者の生活リズム』というクリスチャン向けの本の中で、著者のケン・シゲマツ氏は
遊びと仕事の区別について述べ、“それを行うこと自体に目的があることが遊び” (p183 第11章 子供のように遊ぶ)と、定義している。


子供から『純粋な遊び』を取り上げてはいけない。
『有用性』という混ぜ物をしてはいけない。
むしろ、遊び方を忘れてしまった私たちは子供から、
「どのように遊ぶのか」を教えてもらわなければいけない。

遊びは、一見何も生まないように見えて、それは確かに後の人生に影響を与えて、
その岐路を大きく変えることになる。

冒頭に登場した、トミカを連ねて遊んでいた子供も、
やがてホテルマンとなり『縦列駐車のエキスパート』と呼ばれる日がくるかもしれないのだ。



モモ (岩波少年文庫(127))
ミヒャエル・エンデ
岩波書店
2005-06-16





忙しい人を支える賢者の生活リズム
ケン・シゲマツ
いのちのことば社
2015-08-10





050_おまけ

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【049】フリーマーケット

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リベカちゃんと、リサちゃんのお話。



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【解説】

夫婦や家族間にお金のやりとりはあまりない。

皿洗いをしたらいくらとか、相談にのってもらったからカウンセリング料いくらとか、
家事に対して月給が発生することもない。
「ちょっと帽子借りるね、レンタル代いくらだっけ?」
「今キャンペーン中だから一週間100円でいいよ」
みたいなやりとりみたことない。

明確に当番やルールを決めることもあるが、ほとんどが暗黙の了解、空気感、
その都度都度でギブアンドテイクで成り立っている。

夫が「交際期間から今までにお互いに使った金額を一回、精算しよう」みたいなこと言い出したら、
「はぁ?」っていう。

そんなことを事細かにきめていたら、今まで円滑にやれていたことが
急にややこしくなる。経理や税理士を雇わないといけなくなる。

でも、お金というものが見えないだけで、
これは経済活動ではないかというと、経済活動だと言えなくもない気がしなくもなくはない感じだ。

お金のやりとりはないとしても、
需要に対する供給と、供給に対する需要が生まれており、
トレードがあり、労働があり、そこには擬似社会的な活動がある。

それ“はほぼほぼ経済活動”であって、
しかし貨幣システムがからんでいないがために“経済活動”とは呼べない。

いや、ドラゴンボールは、全然ドラゴンボールが登場しなくなってからもドラゴンボールなんだから、
経済活動も、貨幣をまるきり使わなくても経済活動なんじゃないかと思うわけで。
お金を使用しないコミュニティーの内部でも、貨幣や商品を使わないトレード的役割は機能していて、相互に必要を満たすシステムは出来上がっている。

貨幣のシステムがあった方がいいか、ない方がいいか、
もちろんあった方がいい。

しかし、

貨幣システムを導入する方が楽か、しない方が楽か、
もちろんしない方が“仕事量的には”楽なのだ。

しかし、今の貨幣システムがあるが故に、人間はその機能の奴隷となってしまっている部分がある。
それを風刺してみたかった。

可愛さだけがウリのこの漫画では描くことができなかったが、
私が描きたかった話がある。

それは、

『海難事故で他国に漂着し、パンを買いにきた男が
店主に自国の通貨を出すと、
「この金では買えない、両替をしてからまた来てくれ」と言われる。
男は、両替屋を探している最中に餓死してしまう』

という話だ。


流石にママミルクのキャラを餓死させるわけにいかないので、
フリーマーケットに置き換えたが、
言わんとするところは一緒だ。


お金には、お金があるが故に
お金を使って必要を満たさなければいけないと思い込んでしまう、という側面がある。


耳掻きがあるから、という理由で
外界へほじくり出されたところで
捨てられる以外何の選択の余地も与えられない耳垢たちは無意味に摘出され、

鼻毛切りカッターがあるから、という理由で
日々、体外からのごみの侵入を守っている
鼻毛たちは根こそぎ刈り取られてしまう。


なんかの動画でホリエモンさんが『お金を介さなきゃいけないのは効率が悪い』的なことを話されていて、(うろ覚えでごめんなさい、違うかも)まさにそういうことが描きたかった。

お金のやりとりは、なくて済ませることができるならそれが1番手っ取り早い。


何にでも値札がついちまう世知辛ぇ世の中で、
貨幣制度とは、お互いの必要を円滑に満たし合うための“あり方”の一つなんだ、ということを
叫びたかったわけです。





049_おまけ

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【048】ライフライン

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天使クルと、冒険家・ポポのお話。



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【解説】

私はかつてデザイナーとして働いていて、フォトショップもイラストレーターも
ある程度使いこなせていた。

そして、その「デザインのスキル」は、私にたくさんの収穫をもたらしていた。
その時期には、命綱の機能を果たすのに十分な長さがあったのだ。

しかし、私はあるときデザイナーという仕事に飽きてしまった。
私は、デザインをしたいのではなく、創作がしたいのだと気づいた。

おそらく、その瞬間が、命綱がピンピンにひっぱられた状況だったのだ。

ところが、私は、その役ただずな「命綱」をなかなか捨てられなかった。
本当のところ、自分はデザインをやりたいと思っているわけではないのに、
デザインのスキルが活かせる仕事という条件に固執して、職探しをしている自分がいた。

せっかく苦労して得たものだ。イラレのショートカットだって身に染み付いている。
でも、まったく新しい分野にすすんだとき、そこでこの技術を生かせなければ、
このスキルは死んでしまう。ショートカットも忘れてしまう。
だから、スキルを活かせる道を選ぼうとする。
べつに何十年と積み上げてきたスキルではない、それでも失うのは惜しいのだ。


営業スキル、プログラミングスキル、役職、人脈、地位、あるいは地元の付き合い。
こういうのは、積み上げてきたものだ。
積み上げてきたものが膨大なほど、大きな犠牲を払って手に入れたものほど、
何か新しい地点にいくために、それをすっかり失うのは勇気がいる。

引越し、転職、企業、全部古い何かを捨てなきゃ得られないものだ。
部分的に、あるいは全面的に捨てなきゃいけない。


『スキルを活かす』って、ある意味、選択肢を狭める考え方だ。
「やってみて楽しいこと」は、自分のもっているスキルが全然活かせないところにあるかもしれない。


昔のドラクエ(多分6あたりかな)で、ダーマ神殿というところに行くと
「魔法使い」とか「戦士」とか「遊び人」とか好きなように転職ができた。
(今考えると、なんで神殿がハローワークの仕事してんだとか思うが)

そのシステムが面白くて、転職するにはそのキャラクターを一定のレベルまであげないといけないのだが
、転職すると、レベルがまた1に戻るのだ。

レベルが1に戻るのが嫌なら、同じ職業をずっと続けることもできる。
一生「戦士」としてレベルをあげ続ける、そういう選択肢もありだ。

でも、本当はどうか?

もしかして、「“遊び人”になるってのもありかも」とか考えてる節があるんじゃないか?
やってみたら、意外とあたらしい自分に出会えるんじゃないか。


ちょっと自己啓発みたいな内容になったけど、
こういうのは適応の範疇が多すぎて、かえって扱いづらい。

ようするに、あなたが何に執着しているかという話なんだとおもう。

048_おまけ
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