長女テレサと次女リサの姉妹のお話。
【解説】
うちの妻は、プレゼントをもらうのが好きだ。
(惜しくも私は人にプレゼントするのが非常に苦手なタイプだが)
「自分で選んだ方が好みのものが買える」と考える私は、
(「景品が当たった」「所有物が増加した」的なうれしさは別として)
『プレゼントされるのがうれしい』という気持ちに共感できない。
だから「なんでプレゼントをもらうのが好きなの?」と妻に尋ねてみると、
『お店で、自分のことを考えながら「これなら喜んでくれる」と選んでくれている』
ことがうれしいのだとか。
プレゼントを見て、その向こうに「買っている姿」を想像しているということだ。
なるほど、わからなくなくもないこともない。
結局、『あなたに関心をもっているよ』
『あなたのことを大切におもっているよ』というメッセージが、
プレゼントとして表れているだけなのだ。
『あなたが大事』ということを、
口先だけで伝えるのは限界がある。
口では、なんでも言えるのだ。(mamamilk【032】簡単なタスク 参照)
だから、その思いは、カタチで示さなきゃ伝わらない。
行為か、モノか、その両方で。
「ほなら、その『誠意』ってやつ見せてもらおか?」的なやつだ。
カタチは、結局のところ、変換された時間だ、というのがこの漫画の主張だ。
プレゼントは、『選んであげる』という時間を譲渡している。
お金も、もともとは労働に捧げた自分の持ち時間が具現化されたものだ。
『仕事を手伝ってあげる』
『一緒に遊んであげる』というのも、私が本来自分のことに使える時間を
あなたのために使ってあげるよ、という思いの表れなのだ。
そして、時間とは、言うまでもなく、命(寿命)である。(mamamilk【037】命の有効利用)
その命をあげるというのが、『愛する』ということなのだ。
子どもにとって必要なのは、時間をあげることだ。
「遊ぼう」とせがむ子供に対して、『忙しい』と突き放してしまうのは、
『私と遊ぶ時間』<『仕事に使う時間』という印象を与えてしまうかもしれない。
子どもは、自分のためだけに『聖別(はっきりわけられた)された時間』、
100%ピュア、無添加の時間が欲しいのだ。
一度鼻をかむためにデザインされた、シルクのハンカチのような時間。なんて贅沢な。
だからスマホをいじりながら子供を相手にするのは、混ぜ物の時間だ。
食べかけのせんべいをラッピングしてプレゼントされて、
「ああ、私のことを考えてくれている」なんて思うだろうか。
そんなハーフ&ハーフは望んじゃいない。
(現に私は、遊んでいる間にメールチェックをすると娘に怒られる)
愛を伝えたいなら、時間を惜しむな。命を惜しむな。
とはいっても、人によって愛情の受け取り方は違うもの。
プレゼントを喜ぶ人もいるし、手伝ってくれることを喜ぶ人もいる。
また、一緒に何かをして時間したり、ボディータッチをされたりすると
愛を感じる人もいる。
私はその違いがあるということを下記の本で気づかされた。
夫婦関係のために非常にいい本なのでぜひお読みください。
メルカリで買ったら安いよ。