あなた自身の中にもきっといる、こんな(良くも悪くも)素直な子どもたち。

ママミルクは、個性溢れる子どもたちが自由に生活する小さな社会を描いた4コマ漫画です。(たまに2・3コマにもなります)

皮肉と風刺の隠し味が、後からじわりじわりと効いてくる・・かも?

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November 2019

【007】優先順位

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長女テレサと次女リサの姉妹のお話。



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【解説】

うちの妻は、プレゼントをもらうのが好きだ。
(惜しくも私は人にプレゼントするのが非常に苦手なタイプだが)

「自分で選んだ方が好みのものが買える」と考える私は、
(「景品が当たった」「所有物が増加した」的なうれしさは別として)
『プレゼントされるのがうれしい』という気持ちに共感できない。

だから「なんでプレゼントをもらうのが好きなの?」と妻に尋ねてみると、
『お店で、自分のことを考えながら「これなら喜んでくれる」と選んでくれている』
ことがうれしいのだとか。
プレゼントを見て、その向こうに「買っている姿」を想像しているということだ。


なるほど、わからなくなくもないこともない。


結局、『あなたに関心をもっているよ』
『あなたのことを大切におもっているよ』というメッセージが、
プレゼントとして表れているだけなのだ。


『あなたが大事』ということを、
口先だけで伝えるのは限界がある。
口では、なんでも言えるのだ。(mamamilk【032】簡単なタスク 参照)


だから、その思いは、カタチで示さなきゃ伝わらない。
行為か、モノか、その両方で。

「ほなら、その『誠意』ってやつ見せてもらおか?」的なやつだ。


カタチは、結局のところ、変換された時間だ、というのがこの漫画の主張だ。

プレゼントは、『選んであげる』という時間を譲渡している。
お金も、もともとは労働に捧げた自分の持ち時間が具現化されたものだ。
『仕事を手伝ってあげる』
『一緒に遊んであげる』というのも、私が本来自分のことに使える時間を
あなたのために使ってあげるよ、という思いの表れなのだ。

そして、時間とは、言うまでもなく、命(寿命)である。(mamamilk【037】命の有効利用
その命をあげるというのが、『愛する』ということなのだ。

子どもにとって必要なのは、時間をあげることだ。
「遊ぼう」とせがむ子供に対して、『忙しい』と突き放してしまうのは、
『私と遊ぶ時間』<『仕事に使う時間』という印象を与えてしまうかもしれない。
子どもは、自分のためだけに『聖別(はっきりわけられた)された時間』、
100%ピュア、無添加の時間が欲しいのだ。
一度鼻をかむためにデザインされた、シルクのハンカチのような時間。なんて贅沢な。
だからスマホをいじりながら子供を相手にするのは、混ぜ物の時間だ。
食べかけのせんべいをラッピングしてプレゼントされて、
「ああ、私のことを考えてくれている」なんて思うだろうか。
そんなハーフ&ハーフは望んじゃいない。
(現に私は、遊んでいる間にメールチェックをすると娘に怒られる)


愛を伝えたいなら、時間を惜しむな。命を惜しむな。


とはいっても、人によって愛情の受け取り方は違うもの。
プレゼントを喜ぶ人もいるし、手伝ってくれることを喜ぶ人もいる。
また、一緒に何かをして時間したり、ボディータッチをされたりすると
愛を感じる人もいる。
私はその違いがあるということを下記の本で気づかされた。
夫婦関係のために非常にいい本なのでぜひお読みください。
メルカリで買ったら安いよ。


愛を伝える5つの方法
ゲーリー チャップマン
いのちのことば社
2007-08-31






007_おまけ


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【006】待つ人

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ハカセのジャックと、助手のオリバーのお話。



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【解説】

私はこのオリバー君の対応が理にかなっていると思う。

つまり、忙しい時ほど、忙しさから離れ、休息をとる必要があると。

忙しさとは、時間に対する欠乏感だ。

そして、欠乏感は人を近視眼的にする。
『なんとかしなくては』という焦りが、脳のワーキングメモリに負荷をかけるので、
その場しのぎの解決方法に走ってしまい、(集中力はあがるが)
全体としてのパフォーマンスが著しく落ちてしまうのだ。


『欠乏の行動経済学』という本に(これは本当に名著!)その趣旨のことが描かれている。
(”急患でパンクしていた病院が手術室のいくつかを空き室にしたら問題が解決した例”
”貧困層の農家ほどが、農薬をまくことを怠けるために収穫量が減ってしまう例”など)


私も、毎日忙しい時ほど、休息(仕事から離れる)をするようにしている。
散歩したり、読書したり、運動したり、瞑想したり、
また、こんがらがった思考の整理をするために頭の中を書き出したりする。
また、どれだけ忙しくても、日曜日は教会に行って礼拝を捧げる。


そうすると、忙しくなくなる。

いや、締め切りはなくならないし、タスクも減らないから、
(締め切りを調整するアイデアが浮かんだり、しなくてもいいタスクが見つかる可能性は十分あるが)

『忙しくなくなる』より、『忙し感がなくなる』といったほうがいいかも。
ゆとりのある脳みそをフル稼働してタスクを処理できる。

というのも、私の脳みそは、メモリが少ないくせに稼働が多すぎる。
(私の書く文章を見てもらうとわかると思うが)
そうすると、すぐにフリーズして使い物にならなくなてしまう。
パソコンも、こまめにシャットダウンが必要だ。

忙しい、と感じたらぜひ、
忙しくなるまで、待ってみよう。



この本は、人生変わるよ。
時間がない人ほど、この本を2回読もう。





006_おまけ

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【005】うらない

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結果が気になるヘルムくんと、悪魔のマーロンのお話。



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【解説】

10代のころ、占い師に手相を見てもらった過去とがある。

「大器晩成のタイプだね」と言われた。


10代で、大器晩成とか…、え?

まじで放り出されたような気持になった。

その結果が合ってるかどうかを確認するのに30年はかかる、

30年後に、「大器晩成出来なかったじゃねーか!金返せ!」とか言いたくても、

もうその占い師に会うことはかなわない。言ったもん勝ちだ。

『せこい』

その三文字が頭に浮かんだ。


先に断っておくが、私は神を信じる信仰は持って以来、
占いの類はいっさい信じなくなった。


『占い』というと、ざっくりしているが、
客観的に見て合理性のない手法を用いて、(カード、手相、星座)
また、事実確認の取れない主観的な存在に伺い立てることによって、(チャネリング、守護霊、先祖)
未来を知ろうというタイプの行為をここでは上げておきたい。


占いが『あたってしまうように感じる』メカニズムについては、
バーナム効果と確証バイアス、後付けなどの
心理学で説明できるので、それをググってもらえばいい。

人の記憶の書き換えられやすさについては、
『記憶はウソをつく 』(祥伝社新書 177) 榎本 博明  (著)
などを参照いただきたい。
占い師が(本人は信じてやっておられる場合があるので)
全員がうそつきだとは思わないが、
人の未来について、主観で好きなことを言っておいて、
結果責任をとらなくていいのはアンフェアだと感じる。


未来など、人間に予知できるわけがない。
当たったことがあるとしても、
それを再現性が認められる科学的事実と認めるのサンプル数があまりに乏しい。


だから、占いなんて、時間とお金の無駄だし、
理性的判断をしない温床になるので極めて有害だ。

でも、占いをしたい人の気持ちはわかる。

先行きの見えない状況で、未来を知りたい、何かにすがりたい、と考える気持ちもわかる。

「先のことがわかればいいなぁ」

と思ったりもする。

でも、その先って、いつまでのことなんだろう。


大人になったら?


死ぬ瞬間?


それとも、死んだあと?


部分的に良くても、結末がダメだったら、全部だめじゃない?



人は未来を部分的にしれたら、不安は解決されると考える。

でも、そこを乗り切っても、また不安要素はわいてくる。

結局、未来の一部分を教えてもらっても、

幸せにはなれない、平安は訪れ無いんだろうって思うわけさ。



記憶はウソをつく (祥伝社新書 177)
榎本 博明
祥伝社
2009-09-29



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【004】記者会見

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冒険家・ポポのお話。



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【解説】

正しい情報か誤った情報か、
真偽のほどを確認するのは大切なことだ。

でもそれは、自分で調べられる限りにおいてであって、
基本、すべての情報の真偽を確認できるわけではない。

もちろんフェイクニュース、デマ情報などにみられる、
不確かな情報の発信は論外だ。

しかし誤解を恐れず言わせてもらうと、

自分に関する限り、情報の真偽は、大した問題ではない。
なぜなら、真偽は、行動の結果としていずれ明らかにされるからだ。

もちろん、行動するなら、正しい情報である方がいい。

しかし、不確かな情報かもしれないと思って行動しないよりは
確かな情報であると信じて行動した方がいい。

大切なのは、
正しい情報であると信じて行動することである。

聖書にはこんな言葉がある。

”さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。”
(ヘブル人への手紙 11:1 )新改訳聖書2017

これは、神への信仰についての話だが、
まさに神がいるか、天国があるかどうかなんて問題は、
実際に死んでみるまで確認しようのない不確かな情報だ。
だが、「確認しようがないから」という理由で情報を信じて
手遅れになるというケースはごまんとある。

これはネガティブなケースだが
以前震災の被災地に行ったときに、津波が起こるという情報に対し
「今までこんなことは起こらなかった」といって、
再三の避難勧告に従わず、流されてしまった人が多数いたことを聞いた。


今は、ほとんどのこと調べればわかる時代だ。(フェイク情報も多いが)
「エビデンスは?」という言葉がうっとうしいくらいに横行している。

いや科学的根拠は大事だよ。

でも、全ての知識を情報によってあらかじめ確認しようとするあまりに、
行動をして【自分で確かめる】ということをしない
『エビデンス厨』(造語)も増えてきているんじゃないかって思うよ。


もう一度いう。

自分に関する限り、

未知の情報の真偽は、大した問題ではない。



なぜなら、

たとえその情報がたとえ『偽』であったとしても、

それを確かめようとする過程自体が無駄になることは決してない。

もし途中で『偽』であることがわかっても、

その都度軌道修正していけばいいんだよ。


ポポ君は、
『真』であると信じて行動した。
そして彼は行動の、確かに『答え』を見つけた。
その情報ソースが『偽(フィクション)』であったということが後からわかったとしても、


それが何か?


なのである。


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【003】インタビュー

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ランスとグリーのお話。



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【解説】

えらそうなことを言う人は多いけど、
『大言壮語』はそのまま言質だかんね。

口はもろ刃の剣だよ。
偉そうなことを言えば言うだけ、
揚げ足取られる。反撃され、矛盾つつかれ、論破される。
発言が全部残る、ネット社会は特にね。
だから、たいそうな発言にはそれ相応のリスクがあり、
「へまを言ったら首輪をつけられる」覚悟が必要。


「ですから、みなさん、偉そうなことを言わないようにしましょうね。」

いや、そんなことを今更言いたいんじゃない。

むしろ偉そうなことを堂々と言えるような、偉い人間になれよ、と言いたい。
いや、偉い人なら、多分「偉そう」と思われないけどね。偉いから。

「愛することは大切だよ」
「しっかり挨拶をしましょう」
「争いはやめましょう」
「嘘をついてはいけないよ」
「人を尊びましょう」

全部、大正解だけど、
自分を振り返ってみてどうよ。
全然できてないなら、やっぱり偉そうなこと、大言壮語なわけ。
「なんだよ自分で来てないじゃん」「矛盾してるじゃん」って思われるよね。
そうしたら、その発言自体の価値が危ぶまれる。

でも、心から人を敬い、苦しい人を助け、
誠実で、愛のあふれるような人が、

「愛し合いなさい」「許し合いなさい」
と言われたら、その言葉には人を動かす説得力がある。

私は、そういう人間になることを求めてる。
「愛し合いなさい」と言えるくらいに、人を愛せるように。
「許しなさい」と言えるくらいに、人を許せるように。


そんなロールモデルが、
私にはたった一人だけいる。



003_おまけ

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