あなた自身の中にもきっといる、こんな(良くも悪くも)素直な子どもたち。

ママミルクは、個性溢れる子どもたちが自由に生活する小さな社会を描いた4コマ漫画です。(たまに2・3コマにもなります)

皮肉と風刺の隠し味が、後からじわりじわりと効いてくる・・かも?

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mamamilkのLINEスタンプ第3弾できました!

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4コマ漫画mamamilkをご覧いただきありがとうございます。

各回のおまけ画像を集めて作ったLINEスタンプの第3弾ができました!
第33話~48話までの内容になります。



↓こちらは第1弾(1話~16話)のスタンプ一覧です。
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↓第2弾(17話~32話)のスタンプ一覧。
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ぜひご覧ください!


購入はこちらから
mamamilkスタンプ第1弾
https://store.line.me/stickershop/product/10335524
mamamilkスタンプ第2弾
https://store.line.me/stickershop/product/10045221
mamamilkスタンプ第3弾
https://store.line.me/stickershop/product/11157344/

もしくはLINEアプリ内スタンプショップにて「ママミルク」で検索

【038】自己憐憫への接し方

038_自己憐憫への接し方_600

ネガティブなヨブと、合理的なマチルダのお話。



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【解説】

ちょっとディスり感が強めだが、

やっぱ自分がこういう(ヨブみたいな)ところがあるから、

自分にくぎ刺すつもりで描いてみた。


「自分には学歴無いから…」

「自分はアスペだから…」

「家庭環境が…」


私は失敗してしまうと、言い訳が頭に浮かんでくる。

でも、『言い訳』って、必要な基準に達せていないことを責められてるときに言うのが言い訳じゃないか?


「90点以上取れといったのに、なんで80点しかとれないんだ!?」

「部室を掃除しろ(私が満足するレベルまできれいにしろ)といったのに、
なぜしていないんだ!」

まずハードルを設定している人がいて、その人に責められるときに言い訳が出てくる。

誰もせめてないときに、そういう言い訳が出てくるってのは、不思議だ。

失敗したり、プライドが傷つく出来事が起こっても、

責める人がいないなら、言い訳は本来必要ない。



いや、きっと責めてる人がいるんだな、自分だ。

自分が『必要な基準に達せていない自分』を許せないんだ。

自分が勝手に自分を責めていて、

自分で自分に言い訳している。

一人芝居。

配役(キャスト)として考えるなら、
『責め役』(自分)、『言い訳役』(自分)

こうなれば、あと必要なのは『慰め役』、
つまり、「そうだよね、うん、君は悪くない!君は頑張ってるよ」と言ってくれる人。

それを従来通り、『慰め役』(自分)で自己完結するなら何の問題もないけど、
誰かほかの人に外注しようとするからややこしくなる。
一人芝居に巻き込まないでって感じ。しかもノーギャラ?


それなら、引き受けた方はパパっと終わらせたい。

ぶつくさいう方は、

自己憐憫にノーギャラで付き合ってもらっているだけ

ありがたいと思わなくちゃね♪



038_おまけ




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【037】命の有効利用

037_命の有効利用_600

ヨブとマーロンのお話。



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【解説】(今回は『100日後に死ぬワニ』の感想です、書きたくなったので)


“おまえもしかしてまだ 自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?”

 

漫画『幽遊白書』の戸愚呂(兄)が玄海師範に放ったこのセリフが、
人間が「死」に対して抱いているバイアスをよく表現している。


『100日後に死ぬワニ』は
「自分はまだ死なない」と思っている全ての人に投じた、
痛くはないが、手のひらにいつまでも残っている鉛筆の芯みたいな漫画である。

 

(以下、ネタバレ含む)

 

『100日後に死ぬワニ』が最終回を迎えた。
第一回から1日も欠かすことなく立ち続けていた死亡フラグが、ついに回収された。


全部は読んでいないのに絶賛するのはあれだけど、
この漫画の凄さは序盤と最後の話を読めば十分、もうお腹いっぱいだ。
というか私も漫画を描いているので、才能にジェラってしまうので全部は読まない。
 

最終回のオチはすごく痛烈で、(3話のエピソードと関連して)
人が死ぬことに対しては、敏感に反応するのに
自分に訪れる『死』については、いかに無頓着であるかがわかる。

期待を遥かに超えたいいオチだった。


私たちはだれも「自分が死ぬ」という客観的事実は
どこか遠い世界の話で、「まだ、しばらくは死なない」と思っている。
 

しかし、死への向かうカウントダウンは、
100日前でなく、生まれた瞬間から始まっているのだ。

 
この漫画の面白さは、ドッキリ番組を観ているような感覚に似ている。
 

『もしも、あと100日でワニが死んだら』なんて
仕掛人になったような視点で読む。
 

あと100日で死ぬくせに、生きている前提で「予定」を入れたり、
だらだらと時間を過ごしたりして、
ワニの時間に神経を注がないワニが、ひどくコミカルにうつる。


そして、読者はほくそえみながら、
心で戸愚呂(兄)のようにツッコミを入れる。 
 

「おいおい、まだ死なない気でいるよ。かわいそうに…」
 

でも、そのツッコミが実は
 
“自分に向けれられている”

というクリティカルな視点をもてる人は少数だ。

 

でも、はっきり言っておきたいのは、
私たちはみな、誰でも、 

 
最悪、今日死ぬ。


そんなことを改めて指摘されて、嬉しいひとはまずいない。
たいていは嫌な気分になる。空気読めよ、てなる。
 

「まだ死なない」「まだ死なない」って


ラーメン屋の秘伝スープみたいに、
つぎたし、つぎたし、
ちゃんとその「死」を見据えることを、先送りしていく。


この漫画は、そういう私たちの死への認識に
どでかい一石を投じて
波紋を起こしたかったんじゃないかな。っ

 
ちょっと『死』を、じっくりみてみようよ。

ぽん、とまな板の上に置いて、観察してみようよ。


 だって、もし、『死』をじっくり見据えることができれば、
『生』を意識するようになる。
そうすれば、絶対に行動は変わってくるはず。

 
よく推理小説で、自殺に見せかけて殺害された現場に
そこにかけつけた探偵が、本人の鞄にある図書カードを取り出して
「はたして、自殺を考える人が図書館で本なんて借りるでしょうか?」
とか訝しむシーンがあるが、「ふむふむ、たしかにそうだ」と思う。 


死を見据えた人は、行動が変わる。


しかし、わたしはまだ死なないと思っている。
ワニの「あと99日」というあのカウントダウンが、
自分の人生というコマの枠外に記載されているということに気づかない。

だから、残り時間を惜しむような生き方はしない。
 

命は、自分に使うことができる“時間”だと、
医師の日野原重明は言った。


私自身、自分の時間の使い方について、見直すきっかけがあった。


1年ほど前、原因不明の微熱が続いた。
病院であらゆる検査をしたが、異常は見つからなかった。
そのことは『もっと重い病気ではないのか』という余計な不安を募らせた。
 
後から振り返ってみて、きっとストレス性のものだったのだろう(実は今も続いている)と察するが、
当時の自分は、大袈裟でなく「死ぬのではないか」と思ったくらいに深刻に悩んだ。
 
その時、私は考えた。

あと数ヶ月で死ぬとして、

『悔いのない命の使い方』をしていただろうか?


そして、思った。

まだやっていないことがある。
まだ死ねない。
今、死んだら、きっと後悔する。


それ以降、私の時間の使い方は変わった。

 私はことあるごとに、
 「あと数ヶ月しか生きられないとして、わたしはこれをやるだろうか?」
と自問するようになった。

 
それが物事を行うひとつの基準になり、
あとで「やらなければよかった」と後悔する時間の使い方はしないようになった。
 

自己憐憫に浸ったり(今回のmamamilkはそのことの自戒である)、
だらだらSNSやゲームをするような時間の使い方はやめた。
家族と話したり、読書をしたり、運動をして、1日を無駄にしないようになった。
漫画や創作活動をして、自分が与えられた使命を全うしたいと強く思うようになった。
(『100日後に死ぬワニ』を全部読む気がしないのも、後々出版される書籍を読んだ方が早いからだ)

 
だから今わたしは、100日後に死ぬとして、
過ごした1日1日を漫画を読むように振り返っても、
悔いのない生き方をしているという自負がある。

 『100日後に死ぬ〇〇〇』

この〇〇〇に自分の自分の名前を入れて、頭の中でイメージしてみよう。
あたりまえにしている動作ひとつひとつが意味深く思えてくる。
 

必ず訪れる「死」を怖がるのではなく、見据えて歩む。
そうすることで、『生』がより味わい深いものになってくる。
著者のきくちゆうきさんはそういうメッセージを込めて、
この漫画を書かれたのではないかと、勝手に想像するのだ。

 

「100%墜ちるとわかる飛行機にあえて乗る人はいないが、私たちはみなそれに乗ってる」昔読んだ本に描いてあったが、人は死を避けれないことを表した名言だと思う。





037_おまけ



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【036】3ヶ月


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冒険家・ポポと、クルのお話。



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【解説】

スムーズにいくように、と誰もが計画を立てる。

しかし、『計画通り』にこだわりすぎると、

かえって計画に邪魔されることがある。



春高野球(センバツ)が開催されなくなった。

2020のオリンピックの開催もあやしい。

その開催を見込んで長年準備していた人たちは、

すっかり困ってしまった。


誰もが、『予定通りに行われる』を前提に準備を進める。

(前提がなければ計画なんて立てられないからね)

しかし、前提はどんどん変わる。



計画書が出来上がったころには、

もう作り始めたときにあった前提条件がすっかり変わっている。

そういう時に、さっと計画を書き換えて臨機応変にできるか、

いつまでも計画書にそって、古いセオリーで進めるかで、その結末は二分されていく。


ガムも噛み続けていれば味がなくなるみたいに、

昔食えてた職業も、いつかは食えなくなる日が来る。

高橋名人も16連射じゃ、もう食えない。



ユーチューバーを目指している小学生が大人になったころには、

もうYouTubeなんてないかもしれない。

プロ野球選手を目指していても、大きな事故であきらめなければいけなくなるかもしれない。

ハイパーインフレが起これば、しこたまため込んだお金も紙くずになる。

オリンピックだって、甲子園だって、

国家だって、法律だって、

いつなくなったり、大幅にルールが変わるかなんてわからない。


確かなことなんて何にもない。




だから、計画なんて立てるな!!!


じゃなくて、


計画通りなんて最初からあてにしない方がいい。


いつでもしなやかに修正できる方がいい。


アクシデントがあったときに、

どれだけ、落ち込む時間を短縮し、

軌道修正に着手できるかが決め手なんだと思う。






036_おまけ


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【035】マイルール

035_マイルール_600

長女テレサのお話。


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【解説】

何か行動を起こす動機なんて、
原始的な欲求が先にあって、
もっともらしい理由は
ほとんど後付けだと思う。


自分の欲求を、自分の中でどう解釈すればいいか、
フレーミング次第だ。


そして人間は、もっともらしくするのが大好きなのだ。
人間から大義名分を根こそぎ絶ったらどうなるか。


「かねがほしいから、うったえた」

「はじをかかせたいから、ひとまえでしかった」

「きにいられたいから、おごった」


まるで、小学生の作文だ。
これがまかり通れば、世界は『北斗のケン』の舞台みたいになってしまう。


人は誰でも自分の欲求を、どれだけでも正当化できる高い能力を持っている。



「私は、常日ごろから、格差社会に不満を覚えていました。


私が求めているのは、偏りのない、平等な社会です。


なぜ、富と物資はあるところには有り余っているのに、


無いところには、必要最低限なものさえ届かないのでしょう。


私は、そんな現状に憤りを感じています。


私は、本当に必要とする人のもとに、必要な物資を届けたい。


だから…、


だから私は…、


マスクを高額で転売しました。」




爆。




会社で予算を通すときに、経理を納得させるために、
(やった経験ないからよくわからんが)

たとえば、XXXを購入したいが、○○費としては高すぎるので予算が通らない、
だけど名目を変えて△△△費用としてなら安いのでそちらで落とす、みたいなことをやっていたりする。


そう考えると、自分の中にいる『経理』を納得させるための戦術なわけだ。

こういうしたたかなことを、脳みそは一瞬でやってのけるからすごい。

しかも無意識のうちに。



035_おまけ


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